大内宿Q&A
 
Q1、 大内はいつ頃宿場になったのか
Q2、 何故残ったか
Q3、 どんな人が通ったか
Q4、 大内の名前の由来は
Q5、 大内の名物は
Q6、 大内宿の茅葺き屋根はどのようにして守っているのか
Q7、 大内宿への道筋は
Q8、 渋滞情報は
Q9、 冬期間に大内宿に行けますか
Q10、大内宿の祭りは
Q11、写真ポイントは
Q12、美味しい食べ物、飲み物は
Q13、大内宿へは泊まれますか
 
Q1
大内はいつ頃宿場になったのか
A1
1635年の武家諸法度によって参勤交代が強化された後会津藩が宿駅の整備をした時に4つの集落に分散されていたのが48の地割をされ、現在の場所に集められたのが1640年代後半と推定されている。
 
Q2
何故残ったか
A2
戊辰戦争後、明治17年に会津三方道路が出来、街道から外れた寒村になり、極めつけは火災に遭わずに現在まで残ったことです。

Q3
どんな人が通ったか
A3
会津の殿様や越後の新発田藩主、村松藩主等、参勤交代利用し、更には、殿様や出羽三山参りの旅人等、有名な人では、伊達政宗や豊臣秀吉、土方歳三、明治にはエザベラバード等が大内宿を通った。2006年は総理大臣の小泉純一郎が来ました。
 
Q4
大内の名前の由来は
A4
七十七代後白河天皇の第2皇子高倉以仁が宇治川の戦いで敗れ、越後の小国に落ち延びる途中当時の山本村に一時逗留し、この地が都の風情に似ていると御歌を詠んでそれからで宮城にちなんで大内とよぶようになった。
 
Q5
大内の名物は
A5
昔から当地方では餅、蕎麦のご馳走と言って遠来の客をもてなすのは蕎麦と餅でした。ハレの時のは必ず餅と蕎麦でした。餅の中でもとても手間のかかる栃餅はとても喜ばれています
 
Q6
大内宿の茅葺き屋根はどのようにして守っているのか
A6
茅屋根の寿命は現在は15年から20年程度です。職人以外は村中が結いという制度で皆の手伝いのもと行われます。村の青年達が技術の継承のため頑張っています。
 
Q7
大内宿への道筋は
A7
国道121号線を使用するのが普通だが、ゴールデンウイークや秋の土日は渋滞が予想されますので会津美里町から氷玉峠経由で来るのがよろしいと思います。電車では会津鉄道の湯野上温泉駅で下車タクシーで6キロです。当ホームページの交通案内を見てください。
 
Q8
渋滞情報は
A8

南会津建設事務所のQRコードを利用下さい。こめやの交通のご案内にあります。

http://www.fukushima-road.net/maizu/i/

 
Q9
冬期間に大内宿に行けますか
A9
雪は1,5Mくらい積もりますが、除雪は完璧です。車の方は冬タイヤ使用でないと無理です。当店をはじめ蕎麦屋等は予約してお出で戴いた方がよろしいです。
 
Q10
大内宿の祭りは
A10
7月2日の半夏祭り、2月の第2土日の雪祭りがあります。この外観音様、弁天様三仏堂の祭り、があります。
 
Q11
写真ポイントは
A11
大内宿正面の山腹にある観音様の脇道がすばらしいです。
 
Q12
美味しい食べ物、飲み物は
A12
そばとお餅の他団子類が喜ばれています。地酒や大内宿の地ビールも好評です、それから、川に入って冷えているラムネや寒いときの甘酒が喜ばれています。
 
Q13
大内宿へは泊まれますか
A13
民宿が8軒程有り、7,500円程度で泊まれます。当店のリンク集も参考にしてください。